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<学徒出陣>フィリピンで戦死の青年兵の日の丸 遺族の元へ
2010 / 10 / 28 ( Thu )
 1943年に学徒出陣し、フィリピンで戦死した青年兵が肌身離さず持ち続け、米兵の手に渡っていた日の丸の旗が今月、67年ぶりに遺族の元に返ってきた。実現の背景には国境を超えた関係者の執念の物語があった。【井上俊樹】

 青年兵は東京都出身で、出征当時、立教大(東京都豊島区)に在籍していた渡辺太平さん。43年12月に学徒出陣し、45年4月、フィリピン・セブ島で21歳の若さで戦死した。この時、渡辺さんのポケットからはみ出ていた日の丸に気付き、「戦利品」として持ち帰ったのが、米国陸軍の軍曹、アール・ツビッキーさんだった。

 旗は家族や友人らの寄せ書きで埋まっていた。2年ほど前、ツビッキーさんは「何が書かれているのか知りたい」との思いが募り、隣家に住むスティーブン・カー牧師(51)=ウィスコンシン州=に相談した。

 カー牧師は昨年、州内の大学の日本人研究者に旗を見せ、「姉 渡邊文子」という名前や「立教魂」などの寄せ書きから、持ち主が立教大生の「ワタナベさん」と突き止めた。報告を受けたツビッキーさんは初めて重い口を開き、部下の兵士に指示して銃で太平さんを撃った後、旗を持ち去ったという過去を告白すると、その数日後の昨年9月、85歳で亡くなった。

 「ワタナベさんの家族が生きていれば旗を返したい」。今年5月、カー牧師から立大にメールが届いた。職員が当時の学籍簿に残る太平さんの都内の実家を訪ねると、既に他人の手に渡っていた。近所の家や寄せ書きに名前があった友人らを訪ね歩き、ようやく1人の遺族が見つかった。文子さんの娘、横尾とし子さん(58)=練馬区=だ。

 今月27日、カー牧師は日の丸を手に立大を訪れ、横尾さんに手渡した。米国では戦利品の日の丸は「幸運の旗」として今もインターネットなどで取引されているという。「散逸させてはいけないと思った。そして残された家族にとって少しでも慰めになれば」。牧師は持ち主捜しを始めた理由をそう語った。

 戦後生まれの横尾さんは、文子さんから優しかった叔父の話をいつも聞かされていたという。病弱だった家族を気遣う戦地からの手紙も残されている。その文子さんは昨年12月、89歳で他界した。横尾さんは「母の魂と叔父の魂が起こした奇跡。身が震えるほどの感動を覚えました」と話し、手紙などの遺品と共に日の丸を自身の母校でもある立大に寄贈した。立大は今後、平和への願いを込めて、学内の資料館で展示する計画だ。

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