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中国人大量保護申請…48人呼んだ姉妹の心境は
2010 / 07 / 05 ( Mon )
 日本人姉妹の親族として5〜6月に来日した中国人48人が入国直後に大阪市に生活保護を申請した問題で、姉の林愛英さん(79)と妹の珠英さん(78)=ともに同市西区在住=が4日、読売新聞社の取材に通訳を通じて応じ、「私たちには日本人の血が流れている。中国でつらい時代を生き抜いて、やっと来日が認められたのに、入国目的を疑われるのはつらい」と心境を語った。

 姉妹によると、母親は福岡出身の日本人。1926年、中国人の夫と中国・福建省に渡り、愛英さんら10人の子どもをもうけた。干し芋で食べつなぐ貧しい生活。戦後は日本敵視の風潮が強まり、一家は迫害を受けた。父親は激しい暴行を受けて衰弱し、死亡。愛英さんは「私も息子たちも『日本人は出て行け』と、よくいじめを受けた。こん棒で殴られ血まみれになったことも」と振り返る。そんな時、母親は「日本人はみんな親切。いつか一緒に日本に帰ろう」と繰り返していたという。

 日中国交正常化(72年)後に、中国残留邦人に帰国の道が開かれ、母親も97年、約70年ぶりに帰国。しかし、出生届が出されていなかったため、日本国籍を取得できないまま、母親は1年後に日本で病死。姉妹は電話で悲報を知らされた。

 中国帰国者を支援してきた空野佳弘弁護士(大阪)が代理人となり、2008年11月、DNA鑑定で日本人との血縁関係がようやく証明され、姉妹は日本国籍を取得。姉妹と兄、その子ども計10人の家族合計56人の入国も認められ、期限の6月までに次々と来日した。先に入国した家族が外国人登録した際、区役所の窓口で生活保護制度を知り、後に来た家族とともに申請手続きをしたという。

 「息子たちの仕事が見つかれば、申請は取り下げるつもりだった」と姉妹。先月末に自転車組み立て工場などに息子ら3人の就職が決まったが、大阪市から入国目的を問題視された影響で、すべて断られたという。

 愛英さんは「日本はいい国だと聞かされ、ずっと移住したいと思っていた。やっと家族で平穏に暮らせると思ったのに」と涙ぐんだ。

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