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地元の人々のため…父の遺志継ぎ葬儀会社営業
2011 / 04 / 04 ( Mon )
 東日本大震災による津波で社屋が水没し、社長が命を落としてもなお、営業を続ける小さな葬儀会社が宮城県石巻市にある。

 「困った時こそ、地元の人々のために」。それが口癖だった亡き社長の遺志を継いだのは娘。1万人を超える犠牲者が出た被災地では、火葬場は不足し、土葬に踏み切った自治体もあるが、娘は「1人でも多く、お骨にしてかえしてあげたい。それが残された私たちの務め」と誓う。

 創業80年、従業員16人の石巻葬儀社。太田尚行社長(69)は地震発生時、次女で専務のかおりさん(40)と会社にいた。約1キロ離れた場所にある自宅には妻(68)と長女(44)がいる。心配になった太田社長は車で自宅へ向かった。会社に津波が押し寄せたのはその直後。かおりさんは従業員数人と近くの駐車場にあった会社のバスに避難したが、車内にまで入り込んできた水は胸まで迫ってきた。

 太田社長は自宅で家族の無事を確認すると、携帯電話でかおりさんに叫んだ。

 「今から助けに戻る」

 「ダメお父さん、危ないから来ないで!」

 そのまま通話は途切れ、二度とつながらなかった。

 妻の制止を振り切って自宅を飛び出した太田社長は、直後に襲った津波にのまれ息絶えた。その後、救出されたかおりさんは、遺体安置所で父の遺体を見て胸を詰まらせた。最期まで娘らの身を案じ、つながらない携帯電話をかけ続けていたのだろうか。棺に横たわる父は、左手を耳に当てたままだった。

 従業員も多くが家を流され、身内を失った悲しみに暮れた。普通ならとても仕事ができる状態ではない。

 だが、会社には、同じように家族を亡くした人たちがひっきりなしに訪ねてきた。石巻市では火葬場の稼働が追いつかないため、市民に土葬を求めているが、「火葬して骨にしてあげたい」という人は少なくなかった。

 父がよく口にした言葉が浮かんだ。「私たちがあるのは、地域の人のおかげ」。趣味らしい趣味もなく、大みそかや元日も仕事をする人だった。頼まれれば深夜、1人で遺体を迎えに行くことも多かった。

 「きっと父もそうするはず」。地震の5日後、営業を再開した。火葬場は秋田や山形など遠方で探さなくてはならない。霊きゅう車も大半が水没し、ガソリンの調達もままならないが、これまでなんとか50件以上の火葬場の予約を取り付け、約20件の火葬を執り行ったという。

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