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未知の前方後円墳なのに…住宅開発で石室破壊 安閑天皇陵近く
2011 / 01 / 23 ( Sun ) 世界文化遺産の暫定リスト入りが決まった大阪府東南部の「古市古墳群」内の安閑天皇陵(羽曳野市)近くで、これまで全く知られていなかった6世紀中ごろとみられる前方後円墳が見つかっていたことが22日、分かった。安閑天皇の妃(きさき)ら有力者が埋葬された可能性もあるが、古墳の発見段階では横穴式石室も残されていたが、前方後円墳と分かる前に石室が住宅開発で取り壊されてしまい、専門家からは「貴重な資料なのに保存されず残念」との声も出ている。
発掘は、羽曳野市教育委員会が平成20年度から実施し、地下約30センチのところで石材が積み重なっているのを確認、横穴式石室と分かった。被葬者の遺体を納めたとみられる主室は縦4.2メートル、横1.6メートルで、2人分が入る大きさだった。 出土土器によって6世紀中ごろの築造と推定され、地元の旧地名から「城不動坂(しろふどうざか)古墳」と命名。墳丘を囲む周濠(しゅうごう、幅約2メートル)も見つかり、全長約36メートルの前方後円墳と判明した。盾を持つ人物をかたどった埴輪(はにわ)の顔面部分も出土している。 見つかった石室は、天井石の一部も含めて築造当時の2分の1ほどが良好な状態で残っていた。市教委は、開発業者と保存について協議したが、コスト面の問題などで保存を断念。結局、宅地造成の際に、周囲の土砂などと一緒に撤去されたという。 被葬者については、日本書紀に安閑天皇の皇后、春日山田皇女(かすがやまだのひめみこ)や安閑天皇の異母妹、神前(かむさきの)皇女を、安閑天皇の陵に併せて葬ったと記述。宮内庁では、神前皇女は安閑天皇陵に合葬されているとする一方で、春日山田皇女の墓として安閑天皇陵の南にある高屋八幡山古墳を指定している。 城不動坂古墳は安閑天皇陵の北東約50メートルに位置し、墳丘も同じ向きに築造されていたことから、市教委社会教育課の井原稔さんは「高屋八幡山古墳は安閑天皇陵より築造時期が古い」と指摘した上で、「合葬といっても、同じ墓に葬るとは限らない。2人分が入る石室の大きさも考えると、城不動坂古墳は春日山田皇女と神前皇女の墓の可能性もある」と推測する。 一方、府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は「日本書紀の合葬の記述などから、天皇と皇后が別の墓に葬られたとは考えにくく、安閑天皇に仕えるなどした人物の墓ではないか」と指摘。石室が保存されなかった点については「前方後円墳と分かったのが石室を取り除いた後だったとの事情は理解できるが、全く存在が知られていなかった古墳だけに大きな発見であり、(石室が失われたのは)非常に残念」と話した。 【安閑天皇】 第27代天皇で、在位は531〜535年。仁賢天皇の娘、春日山田皇女と結婚した。勾金橋宮(まがりのかなはしのみや、奈良県橿原市)に遷宮。地方支配の拠点である屯倉(みやけ)を数多く置いた。 ☆…今月のピックアップ…☆ 長いつばが特徴のニット帽!かわいくて小顔に見えるから人気なんです☆☆☆ 選べる9色展開!長めのつばで小顔効果抜群!ケーブル編みニットキャスケット【送料無料】売れて... |
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